NPO法人 ウィメンズ・サポート・オフィス 連


いきいきと自分らしく生きたい女性をサポートします

−女たちが集い、語り合い、分かち合う、そこから何かが生まれる−



夫婦や親子の関係、自分の生き方、職場や地域の人間関係などで、一人で思い悩んでいませんか? 私たちは話し合いを通して、自分自身の問題や課題に気づき、より良い方向をさぐっていくためのサポートをいたします。悩んでいることがあったら一緒に考えてみませんか。


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体験記

「女性学と私」
正木敏子(仮名)
 
私は育児ノイローゼ?
私が初めてフェミニズムや女性学という言葉に出会ったのは今から20年も前、まだ20代の頃でした。息子を出産したばかりで、教員だった私は当時1年間の育児休業を取ることができました。ずっと待ち望んでいたかわいい赤ん坊が生まれ、「母親として子育てをする」という女性として立派な名目で堂々と1年間も仕事を休むことができるという恵まれた環境にありました。あこがれの専業主婦として優雅にすごせる幸せな日々のはずでした。当時私は女性として手に入れたいものすべてをもっている、と思っていました。夫も子どもも、そして戻るべき職場もありました。ところが私はちっとも幸せではありませんでした。夫との気持ちのすれ違いに悩み、毎日悶々としていました。毎日のようにベビーカーを引いてスーパーに買い物に行くのですが、家にたどり着いてふと気がつくと買いもの袋がありません。スーパーに置き忘れてきたのでした。スーパーまではそんなに遠い距離ではありません。でももう一度スーパーに取りに戻る気力がないのです。「いいや、あり合わせのもので済ませよう。」そんなことがたびたびでした。昼間子どもが起きているときでも、気持ちが高ぶって押さえきれなくなると、子どもを放りだして、声を上げてわんわん泣きました。ひとしきり思い切り泣くと、なぜかとても気持ちが落ち着いてすっきりしたのを覚えています。
女性学との出会い
また1年間しかないせっかくの休みを育児だけでなく自分のために有意義に過ごさなければならないとあせる気持ちもあって、息子を寝かしつけて自分の時間を作ることばかりを考えていました。子どもを興奮させて昼寝をしそこなって自分の時間がなくなったりしないように極力気をつけていました。子どもがやっと寝付くと、図書館から何冊も借りてきた本を広げてむさぼり読みました。どういう訳か、それらは女性問題の本ばかりでした。無意識にそんな内容を求めていたのだと思います。その頃図書館の本の中でフェミニズムや女性学と言う言葉を初めて知りました。ふうん、こんな考えもあるのかと思いました。私が悩んでいるのは私個人の問題ではない、女性に普遍的な問題なのだと思うと妙に勇気づけられるような気がしました。私が家事も育児も全部一人で責任を感じてしまうこと、夫の期待に添うように自分の気持ちを曲げて合わせてしまうこと、それにも関わらず私の気持ちを考えてくれない夫にいつも不満を持っていること、その不満を夫にぶつけられないこと、にもかかわらず夫の期待に添えないことで罪悪感を持つこと。これらはみなジェンダーという女はこうありなさいという刷り込まれた社会的・歴史的・文化的装置のせいなのだと。

母の人生と私
私は今よりずっと女性の生き方が狭められていた時代にたくましく生き抜いてきた日本女性たちの人生に魅せられました。彼女たちに影響を与えた海外の女性たちの歩みも知りたくなってイギリス・アメリカの女性史の本も読みました。女性運動が黒人解放運動から生まれたと知ると、黒人解放運動の歴史も読みました。借りた本なので返さなければいけないので、心に残った文はノートに何冊も書き写していきました。それらの読書は私に母の人生にも思いを巡らせました。私の父は次から次へ浮気を繰り返し、母に日常的に暴力をふるう人でした。その都度母が周りの人から、「妻がいたらないから女を作る・夫をうまく操縦するのが妻の役目」と言われているのを子どもの私は何度も聞きました。私はその度、何かよくわからないけれど腑に落ちない気持ちと、女の人はこんなに複雑な手練手管を身につけないと結婚生活は維持できないのかと思ったものでした。また私に父の愚痴を繰り返し聞かせる母を、幼い私はただ母をかわいそうな私が守ってあげなければいけない人と思っていました。でも女性学に触れて、そうした母が愚痴を聞かせることで娘の私をコントロールし、それが私の生き辛さの原因の一つになっていたことにも気がつきました。でもせっかく女性学に出会うことができたのに、そこから新しい自分として一歩踏み出すところまでには行かず、本を読んではちょっと賢くなった自分に自己満足してその場をごまかしているうちに、あっという間に育児休暇の1年間は過ぎてしまいました。職場復帰した私は以前のように仕事と家事、育児に追われ、相変わらず気持ちの通わない夫に本気になって気持ちをぶつけて関係修復を図ることもなくやり過ごしてきてしまったのでした。

再び女性学に出会って
そして再び女性学に出会ったのはそれから十何年もたってからのことです。荒れていた学校に転勤して担任したクラスの子どもたちのことで悩んでいた私は、子どもたちの指導に役立てたいと心理学やカウンセリングを学び始めました。アドラーやゴードンを学んで、そうだ、こんなふうに私はもっと子どもたちの気持ちに寄り添っていかなくてはと思ったものでした。しかし今思うと、ケア役割を担わされている私たち女性はそれでなくても、はじめから自分の気持ちよりまず人の気持ちをくんで行動するように内面化されています。その上もっともっと人のことを考えて・・・とエスカレートしていくとますます自分がなくなっていってしまうのです。また問題に正面から向かうのを避けて、カウンセリングといった技法を使って子どもたちをコントロールしようとしていたと言えるかもしれません。これはアドラーやゴードンの理念を誤って理解してしまった私に問題があったのだと思います。私は自分自身がますますあやふやになり、残念ながら、学んだことは仕事には全く役にたちませんでした。でもなぜかカウンセリングを学んだことで自分の気持ちが軽くなったような気がしたのです。そしてフェミニストカウンセリングに出会った時、これだったのだと思いました。ジェンダーの視点で読み解くことで私の問題は女性としての苦しさであり、私が女性として自らの中に取り込んできたジェンダーが私の生き辛さを生んでいたのだと気づきました。またそれに気づくことでその呪縛から解き放たれ、自由になれることに気づきました。そして多くの女性と出会い、それぞれの人生の苦しさが私の苦しさと同じ根でつながっていることを知り、その中で一人ひとりがもがきながら自分らしさを求めて進んでいる姿に勇気づけられたのでした。

新たな一歩
そうした女性たちと出会い、語り合う中で、私はずっと逃げてきた自分の問題と向き合い、時間はかかりましたが共依存的な夫との不毛な関係を整理し、やっと新しい人生に一歩踏み出すことができました。まだまだ整理されていない問題をたくさん抱えていますが、あせらず向き合っていきたいと思っています。フェミニズムと出会ってから再会するまでの空白の十何年が悔やまれてなりません。でもこれまでの道も無駄ではなかったと思える日がいつかくるのかもしれないと思っています。



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