NPO法人 ウィメンズ・サポート・オフィス 連


いきいきと自分らしく生きたい女性をサポートします

−女たちが集い、語り合い、分かち合う、そこから何かが生まれる−



夫婦や親子の関係、自分の生き方、職場や地域の人間関係などで、一人で思い悩んでいませんか? 私たちは話し合いを通して、自分自身の問題や課題に気づき、より良い方向をさぐっていくためのサポートをいたします。悩んでいることがあったら一緒に考えてみませんか。


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体験記

「自己表現トレーニングを受けて」
山本恵子(仮名)
 
ATとの出会い
私がはじめて自己表現トレーニングと出会ったのはある自治体での女性問題講座の中でした。それまでフェミニズムや女性学などとは無縁の生活をしてきて、40歳にしてはじめて女性問題というものの中身を知り、おぼろげながら理解をしていきましたが、一方では、問題があまりに大きすぎて自分の力ではどうしようもないこと、変えようがないこととしか思えませんでした。しかし、その連続講座の中の自己表現トレーニングはおもしろく、ロールプレイという疑似体験のなかでも行動を変えることで関係が変っていくことがわかり、私も変われるのではないかと思うようになりました。

私の中の女性問題
その講座の中で私の内面化された女性問題に気づくことになった、印象に残る言葉がいくつかあります。ひとつが「女性はへらへら笑いすぎる」というものです。それまで私は「女は愛嬌」と育てられ、いつもニコニコしていることが良いことで、ブスッと不機嫌だったり、怒りをあらわにすることはみっともないこと、大人の女性として外れていることと思い込んでいました。でも、おもしろくもないときでもその場の雰囲気に合わせてニヤニヤと変な笑い方をしてしまったり、お世辞笑いをしてしまったときの気持悪さははっきりと持っていました。その気持ち悪さがどうしてなのかをわからなかった私は、この言葉で初めて女性だから・・・の問題、ジェンダーの問題を意識するようになったのだと思います。もちろんこのときにはジェンダーなどという言葉の意味はまったく知りませんでした。もうひとつは「それはずるいんじゃないの」というもので、イヤだとはっきり断れずに、誰かに押し付ける・・・という場面でのトレーナーの言葉でした。私も似たような体験がありハッとさせられました。断りたいのか断りたくないのか、自分自身の気持がはっきりしなくて言えないということもありますが、自分をいい子にしたまま責任は誰かに押し付けるというずるさもありました。でもそれがどういう問題から来ているのか考えることはできず、この居心地の悪さはどうしてなのかを抱えたままでした。

自主的にトレーニング
講座終了後自分の気持をもう一度確認したくて受講仲間と自己表現トレーニングを自主開催しました。毎週1回全10回のトレーニングで、大げさに言えば私の人生を大きく変えるきっかけになったトレーニングでした。毎回参加メンバーの実際に体験した、「ああしたかったのにできなかった」「こういいたかったのにいえなかった」ことを取り上げ、本当はどうしたかったのか、どう言いたかったのか、自分の気持を確認しながらロールプレイを繰り返しました。メンバーの助言や感想を受けながらそれまでの思い込みを修正したり、自分の気持を肯定できるようになったり・・・・・するうちにぴったりと自分の気持を伝える言葉が出るようになりました。それを周りでみていてまたいろいろ感じたり考えたりするメンバーがいる、というふうにグループワークの醍醐味を実感したトレーニングでもありました。

発題者になる
ATトレーニングでロールプレイの題材に自分自身の体験を提供する人を発題者といいますが、はじめてトレーニングの発題者になり自分の体験を再現するとき、一番戸惑ったのは「そのときあなたはどう感じたか?」というトレーナーの問いかけです。どう感じたのかすぐに自分でもわからないのです。状況の説明はできても自分自身が何を感じ、どうしたかったのかが明確でないのです。それまで大人はこうすべきもの、女だったら、母親だったら、事務員だったら・・等々、自分の考えではなく世間の常識、社会の規範の中にとっぷり漬かって生きてきた私には、急に「あなたはどう感じるのか?」と言われても返事のしようがありませんでした。発題者になるのはかなり勇気がいります。否応無しに自分の体験をふりかえり考えさせられるし、そのときの自分自身の気持をまっすぐに見詰めなくてはならないからです。いやらしい自分、ずるい自分、情けない自分を認めなくてはならなくなります。それは辛いことだけれどそれが事実なのだから仕方がない・・と自分を受け入れる、そうしてやっと自分の考えや気持を率直に表現できるようになるのです。

メンバーとして
もうひとつトレーニングの中では発題者としてではなくメンバーとしてのかかわりがあります。はじめの頃は発題者に対して、こうしたほうがいいとか、考え方がおかしいとか、自分の考えや体験を話すことしかできませんでしたが、トレーニングが進むにつれてロールプレイを見ていて感じたことや、発題者の気持、悩みが受け取れるようになり、自分自身の同じような体験に照らし合せて共感できるようになっていきました。このようにメンバー一人ひとりが一所懸命に発題者に関わることは発題者を力づけます。自分の考えや気持を支持してもらい、できなかった自分、そうせざるを得なかった状況を「わかるよ」とそのまま受け止めてもらえるグループの中で、あるがままの自分自身を少しずつ受け入れられるようになっていくのです。

自主グループ
一度このような他者からの共感に勇気つけられ、自分自身を受け入れたと感じても、現実の生活の中では次第に薄れていきがちです。私は幸い仲間との出会いがあり自主グループの中で何回もトレーニングを受けたり、仲間と話し合ったりしてやっと自分自身を受け入れ、私自身を大切にしながらアサーティブに他者との関係を結ぶことができるようになってきました。しかしこれも全て、いつもというわけではありません。それでもずいぶん気持ちよく生活ができるようになれたのは、これまで様々に関わってくれたグループメンバーがいてくれたからこそと思いますし、このような出会いに恵まれたことを幸運と思っています。



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